2008-03-18 第169回国会 衆議院 本会議 第10号
家族住宅に目を向けますと、一九七九年から現在までの間、三沢飛行場で二千三十三戸、池子弾薬庫で八百五十四戸、岩国飛行場で七百三十二戸など、全国の米軍基地で総計一万一千二百九十五戸が建設されています。一戸当たりの費用を池子弾薬庫を例に計算してみますと、約七千八百万円にもなります。この金額には地代が含まれていません。
家族住宅に目を向けますと、一九七九年から現在までの間、三沢飛行場で二千三十三戸、池子弾薬庫で八百五十四戸、岩国飛行場で七百三十二戸など、全国の米軍基地で総計一万一千二百九十五戸が建設されています。一戸当たりの費用を池子弾薬庫を例に計算してみますと、約七千八百万円にもなります。この金額には地代が含まれていません。
横浜市域は、この横浜横須賀道路からこの事業計画区域の方に、左側の方にずっとこう行ったところが、これが横浜市域、横浜市金沢区になっていくわけですけれども、この大部分が確かに逗子市域でありますが、このいわゆる提供区域というのは、逗子市及び横浜市市域分ということになっていくわけで、実は、この米軍家族住宅を池子弾薬庫跡地に建設するに当たりまして相当な長時間、年数を要しまして、市議会は議員選挙、逗子市市長解職
ということで、自民、自由民主党が発行したこの航空写真、航空写真の「東側上空から見た池子の森」、下の方に、写真の部分の下に、実線部分は池子弾薬庫で、点線部分が池子住宅建設区域ですと。この実線部分が池子弾薬庫ということで、寸分たがわずということは別にしまして、この実線部分が合意書で交わした池子住宅地区及び海軍補助施設という理解でよろしいですね。
まず一点目でございますが、いわゆる三者合意に引用されております昭和五十九年横浜防衛施設局長回答は、前回の米軍家族住宅建設に当たって、当時の池子弾薬庫、現在の池子住宅地区及び海軍補助施設でございますけれども、ここのうちの住宅建設の計画区域を別添図面の形で明示した上で住宅を建設したいとして逗子市長に協力を要請したことに端を発した同市とのやり取りに係る文書でございます。
次に、先ほど同僚委員も午前中に議論いたしましたが、池子弾薬庫の米軍住宅問題について質問をさせていただきます。 これはブッシュ大統領が、昨年十一月二十五日に、今在外、在日米軍基地の見直しなども進めているというふうなことを指摘して、明らかにされました。
そこで、九四年の十一月当時、私は、逗子市は、横浜市といういわゆる行政区域は別にして、九四年当時の議論では池子弾薬庫全体、つまり二百九ヘクタールをめぐって交渉が行われたと、この点は、防衛庁長官、この点はお認めになるんですね。
○小泉親司君 それでは、池子弾薬庫住宅建設に係る条件に対する回答の中で、家族住宅を追加建設する考えはないと。つまり、池子弾薬庫の家族住宅建設に係る問題については、追加建設を家族住宅はすることはないと。こういうことを回答したということは、防衛庁長官、お認めになりますね。
○小泉親司君 池子弾薬庫、あなた、時間がないんだから、こんなごまかし答弁で終始しちゃ駄目だよ、あなた。私が質問しているのは、池子弾薬庫家族住宅、池子弾薬庫の家族住宅の追加ということはないんだなと、そのことは確認できるんですねと。横浜市が何だとかいうんじゃないんですよ。 そこ、防衛庁長官、どうですか。役人に幾ら答弁させたって駄目。あなたの政治判断なんだから。
逗子は小さな市でございますが、その一四・五%がこの池子弾薬庫なんです。 ですから、ここのスペースというものが市民にとってどんな宝物か。しかも、緑が保存されている。そして、そこに住宅を受け入れるときの、並々ならぬ市民のいろいろな苦渋の決断があった。その歴史をお考えになれば、どうして今のような答弁が、一言もつけ加えずにおできになるのでしょうかね。
したがって、そのときから、逗子市の池子弾薬庫周辺の接収地が軍転法から外れてしまった。そのために、あれは横須賀の軍港とつながって弾薬庫があったわけでございますから、以降、軍転法と同じような適用があってもいいはずではないか、あるいは、軍転法の適用に逗子市を加えてほしいという運動が続いていた。今でも、そういう動きで続いているわけでございます。
また、かつて選挙区でありました逗子市の池子弾薬庫の返還運動にも携わってまいりました。 そういう点から考えますと、みずからの地域内にある米軍基地を返還してもらいたいという市民の気持ちは痛いほどわかっているつもりでございますが、この相模総合補給廠というのは物資の保管及び補給等の後方支援施設として現在重要な役割を果たしていると聞いております。
○吉井(英)委員 次に、機関委任事務というのは地方自治体や住民にとって非常に大事な問題でありますが、例えば、神奈川県逗子市の池子弾薬庫跡地に米軍住宅を建設する問題で、市長選挙、市会議員選挙合わせて六度にわたって市民の反対の意思が示されました。この点では国の目指している方向とは違うわけですね。
それから、東京ではありませんが、すぐ近くの池子弾薬庫の問題、そういう問題があります。それから、艦上ではレセプションをやるという。これはどういう人を呼ぶかわかりませんけれども、私はノーチラス研究所の研究員たちが書いていることに全く符合するように思う。
それが池子弾薬庫の建設予定地の中から出てまいりました。 実は、ベンソス、底生動物の権威である先生方が要望書を出しておられまして、私、ちょっと読んでみます。 逗子市内及び近接地域には、シロウリガイ類の二枚貝が、一箇所に多量に群集をなして埋蔵されている化石産地が存在します。
これでは、私はきょうは非常に差し迫った池子弾薬庫跡の米軍住宅の問題について質問いたしたいので、これは施設庁長官が責任者としてここにおいでにならなければとても話にならないことなんでございますね。ですから、私は本当にこれではちょっと質問のしようがないわけでございます。どうかよろしく御処置をお願いいたします。
熱心に行われたのでありますが、そのうち主な項目を申し上げますと、 まず、税制改革問題では、政府統一見解と選挙公約の遵守、売上税廃案の理由、政府税調のあり方、税制改革の手順、不公平感の払拭と間接税導入の必然性、高齢化社会の到来と税制改革の関連性などについて、 外交関係では、南アフリカへの我が国の対応、大韓航空機爆破事件に関連する問題などについて、 防衛関係では、三宅島の夜間着陸訓練場建設計画、池子弾薬庫跡地利用
○楢崎委員 なぜ私が、これを御存じですかと聞いておるのは、十四日に逗子の富野市長がアメリカに行かれました、池子弾薬庫の跡地利用の問題について。それから昨日は、富野市長の運動を応援する形で五十数人の市民団体の人がやはりワシントンに行かれたのです。この方々は何を頼りにして行っているかというと、今言った二つの法律があるからです。
自治省といたしましても池子弾薬庫跡地の利用に関します従来の経緯及び今回の選挙の経緯及び結果については十分認識しているわけでございますが、この事柄は基本的に関係する住民と国の権限ある機関との対応関係でございますので、それぞれの立場でどのように対応するかという問題につきましては自治省がこれに関与する立場にないのでございます。
○中路委員 最初に、逗子の池子弾薬庫跡地の米軍住宅建設問題について二、三お尋ねします。 昭和五十八年七月に施設庁がこの池子を適地として通知をされました。その年の十月六日の当内閣委員会で、当時の塩田施設庁長官に私はこの問題で質疑を行いました。
さらにこの評価表の提出をもって、池子弾薬庫跡地における米軍住宅建設問題は、形式的ではありますが一応次の建設へ踏み込む条件が整ったと理解をされておるのかどうか。これが第二点目であります。さらに三点目は、そういう状況に地域がありますがゆえに、仮にアセスの評価表の縦覧にいたしましても相当混乱が予想されます。
同時にそのアセスの評価表の提出をもって事務的な、やや形式的な池子弾薬庫への米軍住宅の建設計画に着手する条件は整った、こういうようにお考えでしょうか。
○丸谷金保君 それじゃ次は池子弾薬庫の問題をお伺いしたいんですが、建設省にお伺いしますけれども、逗子市の下水道の区域、この中には現在問題になっている池子弾薬庫跡地は入っていないと思いますけれども、いかがでしょうか。
○服部信吾君 あと、NLPですね、三宅島の問題、あるいは池子弾薬庫、こういうような問題も大変問題になったようでありますね。特に三宅島の問題に対しては、ついせんだっても賛成派がリコールで負けたというような、こういう非常に厳しい状況にあるわけでありますね。それで池子においてもいろいろと今やっておる。今回、概算要求の中に、両方へもつけてかなり強硬的ともいうような態度もあるわけです。
きょう参議院本会議での帰国報告の中には書かれておりませんけれども、毎日新聞の四月二十二日付の同行記者の記事によりますと、二日目の全体会議でワインバーガー国防長官が三宅島の夜間訓練基地問題、逗子市の池子弾薬庫敷地の米軍住宅建設問題を取り上げた、日本側はその席で、二つの問題についてともに促進に向け努力すると約束していると、こう報道されておりますが、事実でしょうか。